私の歌の心(附加価値論)

三井メモ

趣味(あそび)が仕事になる程+αを求める自他へのサービス心。

身心で研究、学習する。長い時間を費やす。

単なる娯楽で終わらないのは、芸能、芸術、奥深い、はまればはまる程勉強する。

AIにでてくる(アプリ)他の物ごととの関係(他の関連する物事)にとぶ。

元は一定の目標、目的、手段、方法で始まった遊び心が好奇心、興味心ともに限りなく広がる。

連鎖する心、技術(アプリ)を研究して、なるほどと考える事ができるようになる。

でも未だにボヤケタ関連性(法則性)が見えるだけ。

その「歌」研究、物事が技術的な満足感(一時しのぎ的)を得るが(個人差感には違いがある)その時点で終れば、つまり自分が浅かったなという事、そこで立ち停まり、自分で気づくか、適切な指導者に出会うか、助言を受けるか、先輩がいるかによって運(ラッキー)不運(アンラッキー)の分岐点がある。(素直さ等の産まれた時の初期設定)がそれを左右する。

これからが修行(武芸を磨く。自分を鍛える)いわゆる「仁・儀・礼・智・信」「忠・勇・謙・寛」等がどうしても必須条件になってくる。

仏の道にすがる。宗教家でなくてもちょっとした宗教心を持つ。

→練磨(学問としてとらえる)人格を立派になるように練り磨く

→研摩(もっと一段の深い研究が求められる)

→心身共に目一杯(個人差がある)を感じる

→熟成時間(静・動の繰り返し、でも諦めない)

→研鑽。もっと物事を深く調べ研究する、このころになると武道(仏道、体力、気力)をしていると役に立つ。この助けにより菩提心(哲学的、奥深い道理)を求める。

→若いころ理解できなかった(般若心教、私はお題目のように毎日仏壇に供え挙げています)無が少し見えてきたように感じます。極楽往生、浄土(苦しみのない安らかな世界)を希求する。

〇何業も(コロナ禍の下)現役(続けていたもの)を止めることはできる。→極楽浄土がある事を信じて→果てなく、限りなく頑張るしかない!!一芸に通じてくると何故か、それまでの苦しみ感が幸福感になってくる。(他芸に逃げず、自芸をあきらめず)自己肯定が51%、49%自己否定。

2021年(令和3年)師走

コメント